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質問

QNo.3996238 困った人って‥
質問者:MockTurtle 困った人を見たら助けてあげることは、人間として立派な行いだと思うのですが、何回注意してもごみ出しのマナーを守らない困った人を見た場合も、やはり助けてあげるべきでなのしょうか・・・(ーー;?

冒頭からいきなり冗談ですみません (笑)
「他人を困らせる人を “困った人” と呼ぶことは、正しい日本語表現と言えるのだろうか?」というのがこの質問の趣旨です。
よろしくお願いします ( ^^
困り度:
  • 困っています
質問投稿日時:
08/05/04 07:59
この質問に対する回答は締め切られました。
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回答

ANo.6 ANo.2&3のjo-zenです。補足での質問も含めて、自分的にもすっきりしなかったので、いろいろと考えてみました。参考になれば幸いです。

「困った」のように「た」で終わる用法で、まず真っ先に思いつくのは

  ●過去のことを表す用法  ex)「勝った人の栄誉を称えよう」

です。次に思いつくのは
 
  ●状態や性質を表す用法  ex) 「気取った人は嫌いだ」「困った人を見たら助けてあげる」

です。この用法の場合、「た」は「ている」と互換できます。

「他人を困らせる人を”困った人"」と呼ぶ場合の「た」は上記のいづれでもありません。この場合は「はた迷惑な」「他人を困らせる」といった形容詞的な用法になります。また「困ったこと」という場合も、「こと」が困るのではなく、そのことのせいで、誰かが困ることを指します。「不都合な」といった形容詞的用法となるわけです。
「困った人」「困ったこと」いずれの場合も、「人」や「こと」が困るのではなく、それらが「(誰かが)困る原因」になるということを指します。つまり、「困らせる」ということを意味する"形容詞的な"用法であるということです。

形容詞的用法で使われる「た」ということで考えると、

 「優れた人」「やせた人」「変わった人」

などいくらでも考えつきます。つまり、「た」で終わる用法には

  ●形容詞的に使われる(意味的に形容詞のように使う)用法

もあるということです。これは、上記の「●状態や性質を表す用法」を文法的に掘り下げたものにほかなりません。「た」は「ている」と互換できるということになってしまいます。

このように考えてくると、「困った」はかなり特殊な用法であると言えます。「形容詞的に使われる用法」でありながら「困っている」の他に、「困らせる」という特殊な意味で使われる場合もあるということです。

後者の用法の場合、「困った」を連体詞と考えれば、「とんだ勘違い」の場合の「とんだ」同様、名詞を修飾する際の形の場合、意味が特殊化することがあるといえます。

若干、強引ですが、形容詞的な用法の場合には、本来の意味から別の意味合いに変わる場合もあると理解するしかないように思います。ANo.2の回答にも書きましたが、やはり「慣用的な表現」は、いかんともしがたいということに戻った気もしますが。俗な用法である気がしますが、現在の”ほぼ誰も疑問に思わず使われている"状況からすると、正しい日本語表現といわざるをえません。深すぎるぐらい深いですね、「困った」ことですが。
回答者:jo-zen
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:
08/05/08 15:21
この回答への補足再々のご回答ありがとうございます ( ^^

> 「他人を困らせる人を”困った人"」と呼ぶ場合の「た」は上記のい
> づれでもありません。この場合は「はた迷惑な」「他人を困らせる」
> といった形容詞的な用法になります。

うーん・・・・・
jo-zen さんがおっしゃっている形容詞的用法というのは、「●状態や性質を表す用法」そのものになるような気が‥ ( ^^;
「形容詞的」とはどういう意味でおっしゃっているのでしょうか?


> 現在の”ほぼ誰も疑問に思わず使われている"状況からすると、正し
> い日本語表現といわざるをえません。

言葉は意思疎通の道具ですから、先ず大事なことは、意味が正しく伝わることです。逆に言えば、"通じさえすれば、それは常に正しい" という考え方にも一理あると思います。ただ、「正しい日本語表現と言えるのだろうか?」という質問は、あくまで文法との整合性についてお尋ねしているのです(一応ここは、「学問&教育 > 国語」のカテですので)。

"誤用とは言えない" のではなく、"正しい" のだ。

‥と言うためには、やはり文法的に説明可能になっていることは必須でしょう。前回私が "連体詞説" を持ち出した理由もそこに起因しているわけです。

なぜ連体詞と考えるのか・・・?
本来の「困った」は、困ったろう(未然形)、困った(終止形)、困った時(連体形)、困ったらば(仮定形)と、活用形が存在します。
しかし加害者たる「困った人」は、例えば終止形を取って、「まったく困ったね(困らせたね)」というようなことには絶対ならず、「困った+名詞」の単一形のみしか存在しません。すなわちこの場合の「困った」には、"活用(変化)がない" のです。
となると、外見は「困っ(動詞)+た(助動詞連体形)」という連体修飾句にそっくりでも、実体は "困らせる" という意味を持つ一の単語と捉えた方がよさそうです。活用がなく専ら体言のみを修飾するのですから、文法的には連体詞と呼ぶのが相当と思われるわけです。
この回答へのお礼補足質問の途中ですが、本題に付いては取敢えず独善的な自己解決を見たので、締め切らせていただきます(若干不安はありますが‥)。

どうもありがとうございました。

回答

ANo.5 「AがBに困る」ときに「困った人」がAをさすのかBをさすのか分からないのは日本語としては仕方ないのでしょうね。

例えば英語なら動詞に ing が付くか ed が付くかで区別するのでしょうが。

こういう例は他にも色々あると思います。「結婚したい人」は私が結婚したいと思っている人なのか、もてなくて早く結婚したがっている人なのかはこれだけでは判断できないですよね。
回答者:ahkrkr
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/05/07 17:52
この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。
ただ・・・

「結婚したい人」の場合は、前後関係によって “結婚を望んでいる人物(主体)” が変動するだけで、「結婚したい」という句自体の意味は不変です(「結婚させたい」という使役的な意味にはなりません)。
一方「困った人」の場合は、まったく同形で「困る」と「困らせる」の正反対の意味を持つ点が特異と言えます。
したがって、両者は本質的に次元を異にしていると思います。

回答

ANo.4 「困った人を見たら助けてあげることは・・・」
この文では「困った人」「困っている人」どちらでも正しいです。
だけど「困った人」には自分にとって「迷惑な人」と言う意味があり、おっしゃる通りまったく正しい日本語です。
回答者:millennium-man
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:
08/05/05 06:36
この回答へのお礼> おっしゃる通りまったく正しい日本語です。

すみません、私はそうおっしゃってはいないのです (笑)
「もしや誤用ではなかろうか‥?」
と、ふと思ったので、お尋ねしてみた次第です ( ^^

回答

ANo.3 jo-zenです。
少し別の観点から考察してみました。

「困る」には、「難儀する」もしくは「困窮する」の意の他に、
  「不都合である」「迷惑する」
という意味もあります。「隣家の騒音に困っている」などと使う用法です。これは、「困った隣家の騒音」と置き換えることができます。
「困った人」の場合も、「(その)人に困っている」が「困った人」に置き換えられたものであると考えられます。
回答者:jo-zen
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/05/04 18:16
この回答への補足再度のご回答ありがとうございます ( ^^

確かに、辞書には「困った」という連体修飾句で「不都合」の意味を持つ旨の説明があります。しかし、具体的に「困った人」の形の用例が示されていないんですよね‥。
辞書は、しばしば痒い所に届いてくれないのが “困った点” です (笑)


・勝った人の栄誉を称えよう。
・分かった人は手を挙げてください。
・気取った人は嫌いだ。

このように「動詞 + た(だ)」の連体修飾句の後に「人」が付く場合、通常はその人自身が勝ち、分かり、気取るのであって、これらが「他人を〜させる」という使役的な意味を併せ持つことはありません。

しかし「困った人」は、 “顔” を変えることなく、

ある時は被害者(困る)
また、ある時は加害者(困らせる)

と、変幻自在に性格(意味)を変える特異な動詞句と言えます(ちなみに私は、これを「逆多羅尾伴内現象」と呼んでいます)。

「一体なぜそうなるのだ‥?」

私の疑問は、正にその点にあるわけです。
まあ、文法的な説明が困難なものを一切合財まとめて、「本来は誤用だ!」と結論付けてしまえれば、すこぶる楽チンなんですけどね ( ^^;

なお、質問の投稿後に気付いたのですが、困る以外にも「呆れる」、「驚く」が「た」の連体形を伴って使役的な意味になりますね。いずれも感情を表す動詞という共通点がありますが、ではそういう法則があるのかと言えば、「喜んだ人 = 人を喜ばせる人」、「悩んだ人 = 人を悩ませる人」とはなりません。
なぜ一部の動詞句だけがそうなるのかは、依然謎に包まれています。
この回答へのお礼その後jo-zen さんのご意見も踏まえつつ、乏しい知恵を絞ってみた結果、「彼は困った人だ」の場合の「困った」は、
「困っ・た・人」ではなく、
「困った・人」ではなかろうか‥?
との考えに傾いて来ました。
つまり、動詞「困る」の連用形+助動詞「た」の連体形ではなく、「大した」、「とんだ」などと同じく連体詞ということです。それならば、「困っ・た・人」(自身が困っている人)とは正反対の意味を形成しても、一応文法的な説明は可能ですからね。完全に辞書外の解釈になるかとは思いますが、現状ではそう考えるのが最も合理的のように思えます。

ただし、私はしばしば独善に走る悪い癖があります ( ^^;
もし、「それは違うんじゃないかな?」と思われるようでしたら、ご指摘いただけると幸いです。

回答

ANo.2 助動詞「た」にはいろいろな用法がありますが、「困った人をみたら助けてあげる」の場合の「た」は、
 (連体形を用いて)動作・作用がすんで、その結果が状態として存在していることを表す。「てある」「ている」
の意の用法です。「困っている人」の意です。なお、この場合の「困る」は、「難儀する」もしくは「困窮する」の意となります。
 「壁にかけた絵」「「とがった鉛筆」「整った身なり」などとも使います。

しかし、「他人を困らせる人」を 「困った人」 という場合は、事情が違います。
   ​http://www.city.hamada.shimane.jp/kosodate/benri/kenkou/komaru.html
などにもあるように、学校教育の場では、「他人を困らせる子」は「困っている子」だと捉え、ただ一般的に使う「困っている子」と区別するために、あえて「困った子」といった表現を使うようになったようです。それが一般的に使われるようになり、「困った人」も生まれたのです。慣用句になっていると理解すれば納得できるのではないでしょうか?もちろん、逐語的には文法上変な表現ですが。
回答者:jo-zen
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/05/04 11:54
この回答へのお礼こんにちは、いつもお世話になります。

「人を困らせるのは、自分自身が困っていることを知らせるサインだ」
教育論の話としては大変説得力を感じますが、それが「困った人 = 人を困らせる人」という言葉の上での一般認識に繋がったという点には、正直疑問を感じます。と言うのは、そのような考え方は、歴史的には比較的新しいものではないかと思うからです。それ以前から「困った野郎だ!」的な表現は存在したのではないでしょうか?
何か資料的な裏付があると有難いんですが‥


> 慣用句になっていると理解すれば納得できるのではないでしょうか?

「慣用句」という殺し文句は、ある意味国語の万能薬ですね。いよいよ行き詰まったら、私もそれにすがろうと思います ( ^^;

回答

ANo.1 自分にとって(困った人)ということで、正しいいんじゃない?

むしろ 困った人を見たら→困っている人をみたら が正しいいんじゃない?
回答者:ota58
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/05/04 08:25
この回答へのお礼> 自分にとって(困った人)ということで、正しいいんじゃない?

正しくないいんじゃない?
‥と思ったので質問しました ( ^^
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