質問 |
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| 質問者:bonchin | 「君ならできる」を子供にいい? | |
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困り度:
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4歳になろう息子はある日私に何かを頼んで来て、なかなか自分もできなくて、そのとき息子は「大丈夫、君ならできる」を私に言いました。多分保育園に先生にそう言われているでしょう。 息子は短気のようで(多分男の子は皆そうかも)、何かできないときにすぐ「できない」とこちらに泣きつきます。ゲームに負けた時にも、泣いて「勝ちたい」と言います。その時、自分は「大丈夫、できる、頑張って」と息子を励まします。でも、「自分はなんでもできる」と教われた息子は、いつか絶対にできないことに遭遇するでしょう。その時彼の対応はどうなるのでしょうと心配。 社会問題にもなった子供犯罪、ささやかな失敗にも順応できなくて、大人の常識で理解できない犯罪を起こしてしまった例はあるでしょう。もし、その子に、「大丈夫よ、できなくても」と言ってあげた人がいれば、状況は違うのでしょうか。 今は、息子に時々「大丈夫、できなくていいよ」と言ってあげています。 これでいいのでしょうか。バランスはどう思いますか。 |
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質問投稿日時:08/04/22 16:02 質問番号:3967523 |
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| 回答者:ikegonomor | 基本的にケースバイケースで、親御さんから見て「これくらいは努力すればできるだろう」と思えることは「君ならできる」と言い、「ま、無理だろ」と思えることは「お前みたいな子どもにはまだ無理よ」とか言っておけばいいんじゃないかと思いますが。 ただとりあえず… > 4歳になろう息子はある日私に何かを頼んで来て、なかなか自分もできなくて、そのとき息子は「大丈夫、君ならできる」を私に言いました そういうときは「親に向かってなに言ってるんだ、こら」くらい叱っていいんじゃないか…というか叱らないと駄目なんじゃないでしょうか? まあ冗談で言ってるのが明らかなら「ばーか」と頭を小突くくらいでいいんでしょうが。 > 息子は短気のようで(多分男の子は皆そうかも)、何かできないときにすぐ「できない」とこちらに泣きつきます。ゲームに負けた時にも、泣いて「勝ちたい」と言います。その時、自分は「大丈夫、できる、頑張って」と息子を励まします。 そういうときは放置しておくのがいちばんいいと思いますよ。だいたい4歳にもなって男の子がゲームで勝てないくらいで親に泣きつくのは、少々心配です。ママは忙しいのよ、くらいでちょうどいいのでは? 放置するのも心配でしたら、「勝てるようになるまで頑張ればいいじゃない」と言っていればよろしいのでは。その結果本当に頑張って勝てるようになれば本当の自信がつきますし、出来なければ自分の限界を認識するだけですから、どっちにしろ子どもの成長にはプラスです。 > 社会問題にもなった子供犯罪、ささやかな失敗にも順応できなくて、大人の常識で理解できない犯罪を起こしてしまった例はあるでしょう。 ああいう犯罪について直接のきっかけのような原因だけを探し求めるのは、児童心理学や精神分析、発達心理学などなど、どの見地からみても完全な誤りです。犯罪を起こせるくらいの体力がつくくらい成長している子ども(といえばだいたい思春期ですかね)が、ささやかな失敗だけで順応できないで犯罪に走るとしたら、それは一般論でいえば子育てに完全に失敗している、ということであって、それまで子どもが育って来た環境全部を再検討する必要があります。 あくまで個人的な意見ですが、どうも昨今の日本の子育ては、「親と子どもは別人格であって、お互いに相手を『他者』として認識する必要がある」というわざわざ言葉に出して言うほどでもない前提をまるで忘れ去っているように思える不安があります。子どもはしょせん他人、別人格ですし、大きくなればなるほど、他者・他人に囲まれて生きていかなくてはいけなくなります。子どもが成長するというのは、他者とどうつき合って生きていけるかの訓練を重ね、他人にむかってどう自分の意思を表現したり、他人の意思を汲み取って配慮をするかを学んでいく過程であり、それを通じて自分とは何者であるのか、自分の個性はなんであって、自分にはなにが出来てなにが出来ないかを認識していく過程です。 だから親にとっては、いささか冷たく見えることでも、場合によっては気持ちが分かっていてもあえて分かっていないフリをする必要すらあります。なんでも先回りして欲求を満たしてしまえば、四六時中親であればはそういう配慮はできるかも知れませんが、学校にいけば同級生も先生もそこまで子どもの気持ちなんて読んでくれませんし、読めるわけもありません。 それに子どもは親にとって、決して親の思い通りに育ってくれるものではありません。「うちの子のことはママがいちばん分かっている」って、記憶をさかのぼる限り親に秘密にしていたことは山ほどあります。もっとも、その半分くらいは「あら、分かってたわよ」と軽くいなされてしまい、大人になって初めて「母親ってたいしたもんだ」と半分感心し、半分呆れてます(笑)。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/05/08 23:11 回答番号:No.14 |
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| この回答へのお礼 | アドバイスありがとうございました。 |
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| 回答者:3buckchuck | ずいぶん前のことになってしまいますが、わが子がそのくらいの年頃のとき、自分に対して否定的なこと (叱られたり、間違いを指摘されたり、等) を言われるとかなり感情的になって泣いたりすることがありました。その時に思ったのは、多分幼稚園で、平等教育?というか「一等賞もビリもなく皆すごい!」みたいな教育がされていたのでしょう。そういう教育を受けていたからか、出来ないことを指摘されたり、出来ないことを自覚することに、ものすごい抵抗があったように思います。 ですから、叱るときには、「叱る」というのは憎しみや嫌悪によるのではなく、「愛情」によるのだということを懇々と言い聞かせました。ママやパパが死んでしまったら、誰かよその人に助けてもらわなければいけないけれど、あなたが良い子だったら、いろんな人が助けてくれるけど、嫌な子悪い子だったら、誰も助けてくれないかもしれないでしょう。とか、もうはっきりは覚えていませんが、子供に分かりやすいように言って聞かせたように思います。「ママやパパがあなたを叱るのはあなたを嫌いだからじゃなくてあなたが大好きだからなんだよ。」と何度も何度も繰り返すうちに、叱られたり、出来ないことを指摘されても、泣かずに反省したり、「もう一度頑張ってみるよ!」と言える様になりました。 間違ったり、出来なかったときには、「過程」が大事であることを口をすっぱくして教えました。「頑張る」という行為が大切なのだ、「出来た」「成功した」「勝った」「一等賞になった」「百点を取った」というのは「過程」が導く「結果」なのだということ。そして、「頑張ったけど出来なかった」というのと「頑張らなかったから出来なかった」というのは同じ「出来なかった」という結果でもぜんぜん意味の違うことなのだ、ということを何度も何度も言い聞かせたように思います。 もしも参考になったら、「なぜ出来なくてもいいのか」、つまり、お子さんが「努力した過程」を認めて褒めてあげて、そして励ましてあげてください。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:経験者 自信:参考意見 |
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回答日時:08/05/01 15:31 回答番号:No.13 |
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| この回答へのお礼 | アドバイスありがとうございます。 |
回答 |
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| 回答者:yokihito005 | こどもたちを見ていると,基本的には根拠の無い全能感で元気一杯,,という感じがしますよね(個人差もあるとは思いますが) >その子に、「大丈夫よ、できなくても」と言ってあげた人がいれば、状況は違うのでしょうか。 うーん,どうなんでしょう? 出来なければならない,,という偏狭な価値観が原因なのか,「自立した個人」を強制された挙句の”窮鼠・・・”なのか。。。前者だけでなく,後者も原因の一つであるのは間違いないでしょう。。 >「自分はなんでもできる」と教われた息子は、いつか絶対にできないことに遭遇するでしょう。 個人的な意見ですが,”最初の挫折”はわが手で与えてあげたいです(笑)。。親だから加減が判るし,親だから許される,,ということもありますから。。とりあえず褒める,無条件に褒める,事情を斟酌せず激励する,,こうした”心のドーピング”がいったいどういうパーソナリティーを作り上げるのか....わたしにはあまり信用できません。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:経験者 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/28 17:15 回答番号:No.12 |
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| この回答へのお礼 | アドバイスありがとうございました。 |
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| 回答者:hdmi446 | 私が3歳ごろの頃も、確か平仮名の練習で、うまく書けずくじけると 母から「頑張ればできるよ」と言われ練習したのを思い出しました。 それでも書けずに泣きつくと、「また明日頑張ろうね」と言われ 甘えていましたね。 こんな事を繰り返すうち、幼稚園に入る前なのに 名前はもちろん漢字で住所まで書けるようになりましたよ。 (もちろん書いてる意味までは分かってませんでしたが) おかげで私の実家は子供の頃の私の落書きだらけですけどね・・・。 今の今まで忘れていた記憶ですが、質問者さんの質問を読んで 色々思い出しました。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/24 04:35 回答番号:No.11 |
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| この回答へのお礼 | アドバイスありがとうございました。 |
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| 回答者:hossannpap | ANo.7 hossannpap です。 真剣に読んで頂き嬉しく思います。 お礼文に対し、改めて書きたいと思った事が有るのですが、昨日から今週末まで、かなりハードなスケジュールにて、じっくりと書く事が出来ません。疲れも有って、頭も回っておりません(苦笑)! そこで、随分昔に、ある方のご質問にお答えした内容から、何か少しでも感じ取って頂けそうに感じましたので、そのページに飛ぶ為のURLを記させて頂きます。 こちらの質問内容とは違いますので、ストレートな参考には成らないかも知れませんが、何かのお役に立てばと存じます。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2999464.html |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/24 00:20 回答番号:No.10 |
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| この回答へのお礼 | アドバイスありがとうございました。 |
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| 回答者:googahaku | 戦後の学校、家庭で、主流を成してきたアメリカ流「ほめて育てる」は、60年立った今日の結果から、失敗だったことは明らか。わがままで、こらえ性なくのない子供ばかりを育ててしまった。 戦前の自我を圧殺してしまうほどの押さえ込み教育はいき過ぎとしても、「出来ないことは出来ない」「我慢することは我慢する」「自身の能力を過大視しすぎない」など、欠落している子供達の社会性醸成のため、今日に至っては一定の枠にはめた育みが要請されているものと考えられます。 質問者の言われる「出来ること・出来ないこと」の見極めは、親が良く見極め、可能性や必要性に応じて示唆してやるべきでしょう。 どちらを選択すべきか、あれやこれやと考えすぎて、結局、空々しい 形式主義に終始するより、多少のミスはあっても、却ってそのカットアンドトライが、親子双方に教育的効果をもたらすことになるのではないでしょうか。 未知の未来、先々の失敗ばかりを恐れて取り越し苦労し、無難で安易な道ばかりを選んでいては却って良い結果は得られないのではないでしょうか。、常に、精一杯のところでの「真剣勝負」に期待したいものです。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/24 00:16 回答番号:No.9 |
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| 回答者:henmiguei | 【息子に時々「大丈夫、できなくていいよ」と言ってあげています】 貴方の言葉は正しいと思います しかし時には成功の美酒の旨さを味あわせても良いでしょう 其の時には陰で成功できるように本人に判らない様にそっと 下準備や誘導をしてやることも必要だと思います すると巧なったときの喜び 山を征服したときの喜びを知り キット何事にも取り組む勇気が出来るでしょう しかし成功への無理強いは禁物だとと思います。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/23 11:42 回答番号:No.8 |
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| 回答者:hossannpap | この質問に、25年位前の我が家の事を思い出します。 当時、同じ様な場面に遭遇した時、それまで。あまり苦労せずに何でもこなしていた愚息が、それまでとは違って、どうしても出来ない事に遭遇して、酷く落ち込んだ事がありました。 それまで、我が家でも「君なら出来る」で、お宅と同じ様な育児だったと思います。 しかし、この時は、それまでと違って、落ち込みの度合いも深く、なかなか立ち直れない様子でした。このままでは、今まで出来ていた事にさえ自信を失うのではないかと思う場面も有りました。 で、この時に使った言葉があります。 「君なら、出来るようになろうと頑張れる!」 「君なら、直ぐ出来た喜びより、頑張る事を楽しめる」 「君なら、頑張ってる友達を大切に出来る」 「君なら、大切にした友達からも、大切にされる」 と、言った記憶があります。 現在は、もうバリバリの社会人になってしまいました。 今日までの過程を思うと、歳相応のタイミングで、様々な心配事が有りましたが、先に書いた言葉は、その後の彼自身が、自分への問い掛けをしながら成長していく上で、かなり大きなウエイトを占めました。 お陰で、その後の幼稚園・小学校・中学・高校・大学・院・社会人までの何処をとっても、親から見ても羨ましいほどの、親友が何人もおります。そして、本人曰く「スポーツにも、勉学にも、遊びにも、順風の時は勿論、逆風の時も含めて、充実していたし今もそれは変わらない」と申します。 育てた私はと言うと、とても、其処までの言葉では、過去を語れませんが・・・・(苦笑) 文字に書いてしまうと、良い事しかなかった様な印象で、凄く嘘っぽく思われると思います。 一生の価値基準・目標をどう設定するか、その実現方法を、どの様な価値基準で選択するかで、ゴールのレベルが違って来るでしょうが、それよりも、ゴール迄の過程を、楽しめるか苦しいだけのものにしてしまうかは、今の、御子息の年齢は、大事な時期であると共に、人格を決める第一段階のチャンスだと思います。 褒めて育てる中にも、ただ、おだてて伸せるだけでは、自己目線でしかものの見れない人になりかねません。 自分中心の目線は誰もがする事ですが、イマジネーション力の高い人、想像力・発想力の高い人は、自分以外の多面的な方向からものを考える事が出来ます。 その様な人は、人の話にも、しっかりと耳を傾けますし、ウイットにも恵まれます。そして、人を押し退けなくても、恋われる中でキャリアを伸ばして行きます。 人が寄ってくる、人に好かれる、人に助けられる、そんな人になれるのは、素敵な事だと思います。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/23 06:43 回答番号:No.7 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 たくさんのアドバイスを頂いて本当にありがとうございます。 「君ならできる」を否定することは全然ありません。私も子供を褒めながら、彼が成功した時の笑顔を見て何度も褒めるってこんなに力が持つだなと感心しました。 しかし、まさに「おだてて伸せるだけでは、自己目線でしかものの見れない人になりかねない」その通りです、子供が「なかなか立ち直れない」状況になってから、「頑張る事を楽しめ」と言っても、時すで遅しにならないかと心配しています。 大人は皆経験します。どんなに頑張ってもできないことはあります。今の子供はゲームのバーチャル世界に影響され、負けたらリセット、「頑張ればできる」と本当に信じ、いざリアル世界でリセットのできない状況に直面し、頑張ってもできないときに、彼らは「もういい、刑務所に入りたい」、大人が「人生を楽しめ」という前に極端なことをやってしまいます。これは社会問題だと言え、もともとは一人一人の家庭での教育の影響ではないかと思います。「人生は一度だけ、今頑張らないと将来後悔するぞ」とずっと母に言われた私も息子に同じ言葉を言ってあげたいが、良かれと思っても、逆効果だと本当に心外です。 なので、「君ならできる」「頑張ればできる」もすごく大事ですが、頑張ってもできないことがあるから、時には「できなくていいよ」を適切なタイミングで言ってあげ、はりきっている弦を緩めてあげることは大事ではないかと思います。でも言い過ぎると、子供の向上心を損なう心配もあり、タイミングとバランスが難しいと感じます。 |
回答 |
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| 回答者:nei | 場面場面ではないでしょうか。 子育てハッピーアドバイスに書いてありますが、「やればできる」とはいわないっていうのは聞いたことありますか?? それは「やっていない」ということだから言ってはならないと。 少し納得できる部分がありました。 私自身そうして「やれ!やれ!」育てられたようなものなので。 「君ならできる」も一緒だと思います。 すでにできている部分をほめたり、できない部分を一緒に考えたりせずにその言葉だけをいっていては全く意味のない圧力的な言葉ですよね。 「できなくていい」も同様じゃないでしょうか。 なんでできなかったのか、どうしたらできるのか、どのぐらい一生懸命やったのか・・・・を総合して、そしてこの場合は本人が決めるものかと思います。 「一生懸命やったからお母さんはもういいよ。どうする?まだやりたい?また今度がんばる??」とか。 やったことを認めてもらい、自分が選択するというのが良い気がします。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/22 21:38 回答番号:No.6 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 本来ならば一人一人にお礼をもうしあげたいですが、自分の感想をまとめてNo7のお礼に書きます。アドバイスありがとうございます。 |
回答 |
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| 回答者:tryouts | 「大丈夫、君ならできる」の前後のフォローによって大きく変わってきますよ。 フォローは、必ず「褒める」ことです。 例:自転車の補助輪なしの練習をしている場合。 親が後ろを支えてあげていて、途中で手を離し、子に一人で乗らせようと多くの人がさせるはずです。 普通は手を離した瞬間ではなく、少なくても50センチや1メートルは進んでから転倒するはずですよね? この時にどう対応するかですが。 ・大丈夫、できなくていいよ このように言ってしまっていては、子が努力をしなくてもいいんだと思ってしまうようになります。 いわゆる諦めの早い子になってしまう可能性が高いですね。 ・すごい!一人で少し進めたたよ。だから大丈夫、君ならできる いきなり完璧を期待するのではなく、少しでもいいところを見つけてあげて、そこを褒めてあげるのです。 完全に出来て褒めてあげるだと、最後まで出来ずに全く何も出来なかった場合はプレッシャーばかりになってしまいますが、この場合であれば異なります。 褒めてもらえるからやる気が出ると好循環になるのです。 数年前に人気になったビリーズブートキャンプを見たことがあれば参考になるかもしれませんが、1本のDVDの中で何十回と無く褒めています。 腕立て8回を1セットとした場合、1セット毎に「パーフェクト!」と、褒めています。 |
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| 種類:回答 どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/22 19:52 回答番号:No.5 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 本来ならば一人一人にお礼をもうしあげたいですが、自分の感想をまとめてNo7のお礼に書きます。アドバイスありがとうございます。 |
回答 |
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| 回答者:i_kou_love | まだ未婚で子供もいないですが、子供目線で回答させて頂きます。 20代前半♀です。 「君なら出来る」という言葉は子供ながらにプレッシャーを感じます。 まだ4歳なら、言葉が本来もつ意味や理屈的なものはそんなに 理解してないで、「自分の周りの人が言ったから」くらいにしか年齢的に 捉えてないと思います。現に私も、小さい頃はそうでした。 でも、小学校に通いだして、友達との関わりが増えてきて、色々な決まりや 学ぶ中で「君なら出来る」の言葉を理解する時がくると思うんです。 その時、質問者様がおっしゃるとおり、『出来ないこと』に対して 「何で自分が出来ないんだろう」と自分で自分を追い込んでしまったりしますよね。 保育園の先生は教育のプロの方だからと思いますけど......そんな プレッシャーを感じさせるような言葉を言ってほしくないと思いますね(^^;) 本当に出来ないことに遭遇した時、その子はどう思うんだろう。 そのことを先生もちゃんと考えて言ってほしいですよね。 今、4歳ならまだその言葉の意味・プレッシャーはそんなに感じてないとは 思いますけど、これから成長していく過程で、その言葉が常に頭にあるわけです。 >今は、息子に時々「大丈夫、できなくていいよ」と言ってあげています。 すごく、その言葉はいいと思いますよ。安心すると思います。 保育園でいつも「君なら出来る」と半ばプレッシャーをかけられてるかのような 言葉を言われているのであれば、大人であっても大きなプレッシャーを感じます。 気がはっている状態で、出来ることが当たり前=出来ないといけない と 思っている中で、↑の質問者様のような言葉を言ってもらえたら 「出来なくてもいいんだ」と思って「次は頑張ろう」とも思えます^^ すごく安心出来る言葉だと思いますよ。 また、私は3歳から入退院繰り返してたんですけど、その病院の当時の 助教授の先生が「君は好きでいいんだよ」といつも言ってくれました。 子供ながらに、その言葉に安心感を抱けて、「出来なくてもいいんだ」と 思えましたよ^^ |
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| 種類:回答 どんな人:経験者 自信:自信あり |
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回答日時:08/04/22 16:43 回答番号:No.4 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 本来ならば一人一人にお礼をもうしあげたいですが、自分の感想をまとめてNo7のお礼に書きます。アドバイスありがとうございます。 |
回答 |
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| 回答者:mi-dog | 我慢ができないのでしょう。 発散する方法があれば変わると思います。 また、切れるという現象もあるでしょう。 思い通りにいかないど八つ当たりするとか。 大人の社会なら、なおさらです。 欲のかたまりですから。 いろいろやれればいいとは思います。 一つでも集中できるものがあれば。 さがしてみてください。 |
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| 種類:回答 どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/22 16:22 回答番号:No.3 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 そう、そうです。足をバタバタして。子供なり発散しているのですね。その時なるべきく注意をそらして、別のことをやらせています。 |
回答 |
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| 回答者:Us-Timoo | 確実にちゃんとやってみれば出来るとわかっていることなら >「大丈夫、君ならできる」 というべき、そして、自分でやらせるべき。 それが、経験・成功体験というものです。 ただし、やってみても確実にちゃんと成功するとは限らないこととか 失敗しても差し支えないことなら >「大丈夫、できなくていいよ」よりも 「失敗しても大丈夫、だからやってごらん」といいきかせて 実際にやってみて、失敗でも経験・体験させるべきだと思います。 そして、もうちょっと大きくなったら 「自分が成功することを思い浮かべてやるんだよ」 「でも、失敗することはありえること、でもそれは恥ずかしいことではない。だから自分のできることをしっかりやるんだ」 「大事なのは、どうやったらさっきの失敗をまたしないで済むかを考えること」 と教えてあげるべきでしょう。 ご質問者様の「出来なくてもいいよ」という言い方は少しまずいかもしれません。 ご質問者様の意図とは逆に悪い意味で「同じ失敗してもいいんだ」と 思い込んでしまう可能性がありますから。 |
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| 種類:回答 どんな人:一般人 自信:自信あり |
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回答日時:08/04/22 16:19 回答番号:No.2 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 本来ならば一人一人にお礼をもうしあげたいですが、自分の感想をまとめてNo7のお礼に書きます。アドバイスありがとうございます。 |
回答 |
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| 回答者:toshipee | 当たり前のこととして、その歳でできそうにないことに対しては他人も「大丈夫、君なら(今の君の能力なら)できる」と言わないと思いますし、親も「(今の君の能力では)できないこともある」というのは、そのような状況にぶち当たった時にそう教えたらいいと思います。成長すれば、己の限界は自分が一番わかりますし。 個人的な意見として、その「大丈夫、君ならできる」という言葉が一人歩きしないように、「できなくていいよ」ではなく、「負けることもある」「がんばれば次勝つかもしれない」「努力することは何においても大事だよ」とレベルアップしたプラス思考の教え方がいいのではないでしょうか。 |
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| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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回答日時:08/04/22 16:16 回答番号:No.1 |
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| この回答へのお礼 | ご回答ありがとうございます。 本来ならば一人一人にお礼をもうしあげたいですが、自分の感想をまとめてNo7のお礼に書きます。アドバイスありがとうございます。 |