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質問

質問者:kanakosakura 野良猫が死んで
困り度:
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 先日母親が、激寒の日に、道路でうずくまっている野良猫を見つけました。猫は目やにで目も開かず、かなりの衰弱で息も絶え絶えで、動物病院に連れて行きましたが、2日後に死んでしまいました。
 私の家では猫を2匹飼っているのですが、とても大切にしています。

 幸せなペットと、誰にも看取られず、無残な死に方をする生物のあまりの落差、状況を選べない命のやりきれなさに、思わず2人で泣いてしまいました。

 これから、猫を家に引き取り、保健所の方に引き取りに来て頂くのですが、以前、江原さんや、その他の信頼できる霊能者が、「野良猫が死んでいて、むやみやたらに同情すると、人間の交通事故の現場で、同情した人に、死んだ人の霊がくっついてしまうのと同じように、猫も同情した人にくっついて、「この人は優しい人だから何とかしてくれる」と自分の存在を知らせるために色々霊障を起こす、というのを聞いたのですが、一体どのような事をするのでしょうか?
 
 霊は別に怖くもないのですが、霊能者の「むやみやたらに同情するな」という言葉が気になります。
このような野良猫の特別な供養があったら教えていただけますでしょうか?供養の際は、どのような心持で望めばよろしいでしょうか?

 「霊などいない」などの<議論>は望んでおりませんので、そのようなご回答はご遠慮下さい。
 
 <亡くなった生物に対し同情しない、ということの意図>
 <同情し、死後の面倒を引き受ける際の心持>
 <野良猫に対する適切な供養の仕方>
以上3点ををご存知の方がいらっしゃいましたら、ご回答よろしくお願い致します。
質問投稿日時:08/02/14 10:25
質問番号:3774403
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回答

 

回答者:fan-ta-sy とても優しいお気持ちに、心を打たれます。

私からの考えは、先ず、TV等で流布される言葉、発信されている人物などを一切忘れて、受け取って頂けたらと願いながら書かせて頂きます。

何事も御本人次第です。
縁があって、出逢った命の事は、其の時に出来る精一杯、自然な範囲、して上げたいと想う事を、叶う限り。
言葉は至らないと思いますが、大事だと思う事の中に本当の答えは在ると感じます。

<亡くなった生物に対し同情しない、ということの意図>
一般的な霊能の情報の中にある事ですが、信用できる人も同じ事を仰るので、同情を持つべきではない、という考えは死者に面する時に必要な姿勢、ほぼ正しい知識であると思えます。
未浄化霊は「優しい人」か同調し易い人に憑き易い、余り強く別れへの「悲しみ」を持つ事は、あの世へ旅立つ魂の思いの足を引っ張る、等。
魂は肉体を生きる時間を終えれば、満足し、この世界を発って、幸せな地へ、移動を果たさなくてはなりません。
私の個人的な考えを記しますが、死を迎える時点までの辛さより、其の子が頑張って其の日までを生きた事、乗り越え、経験した全てを、大切に思って上げて下さい。
幸せな場所へ、送り出し、安らぎと幸福を願ってあげて下さい。余り悲しむ事は、安らいでいる魂に、心配を掛けてしまいます。

<同情し、死後の面倒を引き受ける際の心持>
上記の内容と同じとなるとは思います。
自分の気持ちに沿う事が大切であると感じます。
あくまで自分自身をしっかりと冷静にする部分を持ち、相手への尊厳、自分とは別個の命の時間を経験した魂の旅路への思いやりを持ちながら。
出来る限りの事はしたいのだから、しなければ清々しく、互いの命に正直に向き合えた気持ちになり辛いという、送り手側である者の思いというのは、在るのだから。

<野良猫に対する適切な供養の仕方>
動物の霊は、動物の霊界へ帰る、と伺っています。
動物の霊を供養する方法は、人間と同じにすると、霊を苦しめてしまうと聞きます。
方法として、其の動物の生前好きであった食べ物、お水とお線香を使用する供養方を記載します。
お台所の床か、何処か場所を決めて床や地面に置く形で、お線香を半分に折ったものに火を燈し、お線香が燃え終わった頃に、同じ種類の動物が居れば其の子にお供えの食べ物を食べて貰う、もし居ない場合には野鳥等に食べ易い場所に置いて、食べて貰う。(お供えやお線香というと所謂仏教形式ですが、これが一番シンプルに必要な物事、要素が揃っていると思います。食物、お水、のお供えとお線香の煙は魂をとても楽にする様です。霊体は気持ちを貰うのであって、同種の生物にお供え後の食物を食べて貰うのは、やはりとても体が楽になり、嬉しく感じる事の様です。)
野生生物や、野良で懸命に生きた子となると、関わり自体が家族としての距離感や親密性を離れて感じる印象はあります。
お話に伺っている今回の野良であった子は、出逢ってから短い時間ではあったけれど、kanakosakuraさん親子にとって助かって欲しくて抱き締めた命、思い入れや失った悲しみは其れなりに深いと感じます。
もし、必要を感ずる場合には、気持ちがほっとする場所と範囲で、行なって上げて頂けたらと思います。

人間は、動物に対して、生きる為の環境も領土も暮らす地域・体調等も、大きく影響を与えてしまっています。
ごく自然に命へ優しさや愛情を持つ人なら、心の中では其の自覚と遣る瀬無さをほぼ無意識にでも感じていると思います。怪我をして、生きて行き辛い思いを沢山持っている生活状態の犬や猫達の姿を見る中にある思いは、そうした、本当に色々な感覚が詰まって押し寄せる、避け難いものである、と感じます。
解決するのは一人一人、答えや正当性は単に社会の規則や霊言には無くて、生きている者が成すしかないのです。
こうでありたい、こうであって欲しい、と思うのなら、願うのなら。
犠牲者である彼等の命に教えられた事は無駄にするべきものでは無い筈、犠牲を変わらず発生させる人間の姿勢に見えるのは無反省と怠慢、傲慢。
自然界、動物世界の不調は、人間の健康と調和に其のまま返るので、動物好き、そうでない云々関係ありません、ごく通常の因果律、起こって然るべき事。こうした程度の現実を無視する人間は責任意識と自覚が薄いだけです。

言葉に囚われず、見抜く事と、自信とを持って、歩んで下さい。

優しいお気持ちに出逢わせて頂いた事を、心より有り難く思います。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:08/04/21 04:33
回答番号:No.3
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回答

 

回答者:horus-xxx >霊能者の「むやみやたらに同情するな」という言葉が気になります。

そう言う場合の、「意図」にもよりますが、「同情するな」というだけでは、おそらく相手は意味が分からないでしょうし、もしその意図が「悪い霊がくっつくから」ということであれば、その「霊能者」とやらは、スピリチュアルなレベルで話していませんから、無視していいと思います。

そもそも私自身は、質問者さんのおっしゃる「幸せなペットと、誰にも看取られず、無残な死に方をする生物のあまりの落差、状況を選べない命」ということに、同感できないのです。家で飼われているペットが幸せ、というのはあまりに人間の身勝手な見方ですし、動物の視点に立っていません。私は動物だったら、ペットというあり方は我慢できません・・・。
本来のスピリチュアルな気づきというのは、すべての存在の、その魂の独自性に気づくことで、狭い自分の感情的なものの見方で生き方をおしつけることではないからです。

そういう意味で、私が、視覚として霊やらなにやらが見える人(=霊能者)というのは、時におかしな人たちがいるなぁ、と思う所以です。超感覚を持つこと、と、スピリチュアルであること、は、別のレベルのことだと思います。

以上の私の思いを述べた上で、ご質問の、

<亡くなった生物に対し同情しない、ということの意図>
同情や感情というのは、意図してするものではなく、その人の(今の)全体の人間性として自然に出てくるものです。それを「するな」というほうがおかしいし、「するな」と抑制するのなら、病気になって薬で症状を押さえ込んでしまうのと同じで、スピリチュアルな「気づき」から遠のいていくやり方だと私は思います。
ただし、「魂には、どんな小さな動物であっても、自分で選んだ一生がある」ということを「尊重」することが最も大切。その上で、質問者さんの内側から「同情」が出てくるならば、それは「自分自身の感情」としてただ見つめれば、それでよいと思いますよ。非常に人間的だと思います。

<同情し、死後の面倒を引き受ける際の心持>
「魂には、どんな小さな動物であっても、自分で選んだ一生がある」ということを「尊重」すること、これにつきると思います。生きていようが死んでいようが、その「存在」に敬意を払うことは大切。
例えば人が死んでお葬式のときだけはシンミリとするくせに、生きている人間に対しては、その「命」を傷つける行為を平気でする人間、ああいうのは、私はヘドが出ます。

<野良猫に対する適切な供養の仕方>
私もよく動物の死体を屋外で発見していた時期がありました。公園で子猫が死んでいたことも。そのときは、棒きれで木の根元の土を掘り、埋めてあげました。生き物の本能なのでしょうかね?死体は、土の中に埋めてあげたい、と私は本能的に思います。この地上の生き物は、地球という大地の恵みの上に「生かしてもらった」のだから、その大元の「土に返してあげたい」と直感的に思います。
小さい頃から、動物や鳥をたくさん土に埋めてきましたが、「霊がついて怖い」とか思ったことは一度もありません。
私が思うに、動物というのは非常にカルマの少ない(あるいは、ない)存在ですよ。注いだ愛情を、ぜんぶいっぱいに返してくれると思います。私はそういう経験をしてきました。人間がいちばんドロドロしている。だからきっと人間は、動物といると心が和むのでしょうね。

それから、「供養」ということ(お線香をあげたり、、、とか)も、人間が考え出したことなので、動物にしてみれば、あまり自然なことではないですね。要するに、(ペットなどの場合)飼っていた人間側の都合、人間が感情的に納得するためにやっているのです。「肉体・命」という観点から見れば、そういした宗教的なことよりも、大地に返してあげるのが一番いいかと思います。
ただし、埋めてあげる土がある場合ですね。土がない場合、行政の係りなどに電話して、燃やしてもらってもいいかもしれませんが(私も経験あります)、どういう扱い方をされているか分かりませんし、そもそも電話して取りに来てもらったりする手間よりも、自分で埋めたほうが早いので、私はよく埋めていました。でも、質問者さんが「死体に手を触れるのが気持ち悪い」など抵抗感があるのなら、ムリしてする必要はないと思います。その心の「抵抗感」のほうが、霊を気にすることよりよくないと思われますので。ご自分でできる範囲で、ご自分で直感的に「してあげられること」をしてあげれば、何も悪いことはないと思いますよ。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:08/02/15 11:40
回答番号:No.2
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回答

 

回答者:tyobi10 素晴らしい親子ですね。久しぶりにいい話をきけました。
私もよく、野良猫をひろってきたりしました。でも手遅れだと死んでしまいます。これはどうしようもないことです。

亡くなった生き物に対し同情しない、というのは人に心がある限り、無理な話かもしれません。ここで大事なのは、過剰な同情はいらない、ということだと思います。「もう少し私が早く見つけてあげられていたら・・・」など、その死が自分の責任のように感じてしまったりは良いとは思いません。もしも、成仏できていない動物であれば、頼ってくるのではないかと思います。

ですから、供養で大事なことは、作法よりも心持ちです。
「とても辛かったね。大変だったね・・・。でももう大丈夫だよ。お迎えがきて楽になるからね。天国で楽しく暮らしてね。私たちは何もできないけれど、あなたには逝くべきところがちゃんとあるから安心してね」など、自分たちに頼ってこられてもダメだけど、ちゃんと天国にいきなさいということをハッキリさせることだと思います。
あとは、通例通り、お線香やキャットフードなどを添えてあげればいいと思います。それもできにくい場合は合掌して天国へ逝きなさいと導いてあげることです。

動物は人の思いをちゃんとキャッチできます。よほどの恨みや執着が無い限り、人間よりも動物のほうが成仏は早いきがします。

私も動物が大好きで、ひろってきたり、怪我をした鳥を保護したり、ありとあらゆることをしてきましたが、動物に頼られ過ぎたことはないと思います。むしろ、守ってくれているように感じる時があるのです。

答えになっているかわかりませんが、ごく簡単にまとめると、
「私はあなたを助けることはできないけれど、天国に逝けば安心していられるよ」と教えてあげることだと思います。

参考になれば幸いです。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:08/02/14 14:33
回答番号:No.1
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼こんにちわ。ご回答ありがとうございます。
tyobi10様のご意見で、非常に心が楽になりました。
私たち親子は、動物が大好きで、負傷している動物を見るとほうっておけない性分です。
 今回は、助けた動物が死んでしまうという、初めての経験で動揺し、かなりのショックを受けましたが、きっとこの先も、このようなことがあると思います。
 その時は、tyobi10様におっしゃて頂いたことを胸に留めて、見送ってあげたいと思います。
 
 先日新聞に、飽きたから、うるさいからetc..
という理由で安易に動物を捨てる人間があまりにも多い、という記事が載っていました。
 保健所のホームページを見ましても、明らかに捨てた犬猫の写真が毎日のように保護されていて、かなり落ち込んでいました。
 
 なんだかやりきれなくなっていたところでした。tyobi10様のような方も、世の中にはいるんだな、と少しほっとしました。

励まされました。。。本当にありがとうございました。
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