質問 |
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| QNo.3664190 | 翻訳について。 | |
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| 質問者:beppappe | イギリスの演劇を翻訳し、日本で上演または演劇化する場合、何が変わり何が問題となるんですか?シェイクスピアに関する具体例があれば、それに沿って教えてください。 | |
困り度:
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| 質問投稿日時: 08/01/09 16:10 |
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回答良回答20pt |
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| ANo.1 | 演劇の専門家ではないので、専門的なことは申せませんが、参考までに、鑑賞者から見た問題点を。 シェイクスピア劇の特徴の一つとしては、怒涛のような台詞の大洪水、というのがありますよね。 とにかくべらぼうに多い。 それを、日本語で役者に喋らせて演技させる場合、上演時間内に収める為に、ものすごい早口で、立て板に水で喋りとおさなければならないと、いう宿命的な問題があると思います。 実際、あの圧倒的な量の台詞をこなす為に、ものすごい勢いで喋り捲る役者たちを見ていて、まあよく覚えるなあと感心すると同時に、見ているこっちまで疲れるというのが正直なところなんですよね。 沙翁の時代の古めかしいキングズイングリッシュを、原語で聞けば、抑揚といいリズムといい、一言一句違わずその台詞でなければ生きない沙翁劇の魅力というものがあるのでしょう。 でも、それを、和訳して日本人が日本語で演ずる場合、逐語訳的に沙翁の脚本を喋りとおすことに、それほどまでの意味があるだろうか、と思うのです。 音律も違えば抑揚も違う、ましてや韻の踏みようのない外国語で、忠実に沙翁の台詞を再現することに、犠牲となるものの大きさに足る意義があるとは、私には思えません。 もっと大事にしなければならないものは、他にあるのではないか。 あの大時代な感じとか、名文句とされる台詞をどう生かすか、そのために他の台詞をどう殺すか。 そういったメリハリが利かないと、沙翁劇は失敗すると思うのです。 沙翁の台詞は、それ自体、意味を考えさせるものではなく、捲くし立てる勢いで観客を飲み込むくらいの迫力のあるものです。 でも、それは、原語で演じられてこその台詞の妙味。 日本語での試みの場合、方向性を変えて、台詞のエッセンスを過たず抽出する、相当な意訳が必要なのではないかと思います。 欲張って、何が何でも書いてあること全部を役者に喋らせないではおかないぞ、というような無意味な意地を捨てて、本当に味わいのある台詞だけをじっくりと聞かせる。 よけいなところは思い切ってはしょる。 台詞に気をとられず、時代感そのものに役者自身が没頭する。 膨大な台詞の量を特徴とする沙翁劇からの、発想の転換というか、脱却というか、そういうことが必要なのではないかなと・・・見ていて思います。 素人意見で失礼致しました。 |
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| 回答者:miirumatsu | |
| 種類:アドバイス どんな人:一般人 自信:参考意見 |
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| 回答日時: 08/01/09 19:14 |
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| この回答へのお礼 | この回答にお礼をつける(質問者のみ) |